2017年02月03日

メメント・モリ

WHITE KEY通称ほわきーの二次創作SS。
しんどい系。一応書きあがりました。

 
 * * * * *

「……さ……。……さん?」

 声がする。誰かの声。

「……さん、……たるさん」

 懐かしい声。あったかい声。
 私はこの声を知っている。
 でもそんなはずはないんだ。彼の声がするはずがない。だって、彼は……。

「蛍さん」

 私の名前を呼ぶ声が、今度ははっきりと聞こえた。
 恐る恐る目を開いて彼の顔を見る。見慣れた顔に少しの不安を張り付けて私を見ている貴方は。

「ハウンド……?」


【メメント・モリ】


「はい、私です。蛍さん、どうしたんですか? 急にぼうっとするものですから心配しましたよ。疲れているのでしたら少し休みましょうか?」
 変わらず私を見ながら眼前の男が言う。細くつり上がった目にパツンと切られた金色の髪、上から下まで真っ黒な牧師の服。どこをどう見てもハウンドだ。
 私がぼうっとしていた? 言われてみれば、何をしようとしていたのかよく思い出せない。
 辺りを見渡す。見覚えのある場所だ。鞍馬のお山の麓にある町。でもどうしてここにいるのかよくわからなかった。
「あれ、私……何してたんだっけ」
 それを聞いたハウンドが困ったように眉をひそめた。経験的に、こういう顔をする時は2分の1くらいの確率で小言がついてくる。私は思わず身構えていた。
 しかし今回は本当に心配の表情だったらしい。出てきた言葉は私を気遣うものだった。
「……本当に疲れているようですね。お山の異変調査に協力して欲しいと頼まれたではないですか。
 とはいえ、その様子では急いでも良いことはありません。今日のところはここで休んでいきましょう」
 鞍馬のお山の異変? あぁ、そうだ、そうだった。お山の仲間が血相を変えて飛び込んできて、私たちはまず事態の確認に……。
「って、そうじゃないっ! ハウンド、どうして貴方がいるの? だって貴方、あの時……っ」

 死んでしまったじゃない。

 吐き出そうとした一言が、喉元で止まった。口にしたらその通り、目の前の彼がいなくなってしまう気がして。
 それでも彼は死んだはずなのだ。いや、その表現は正確じゃない。
 彼は、私がこの手で殺した。
 私の中の歪んだ意思に流されて、この手にかけた。そんな私を笑って許しながら、彼は逝ったはずなのに。
「はて、あの時? 何かありましたっけ。
 貴女の忍務は私の忍務も同然。今回の件だって私も同行するに決まっているではないですか。私は貴女の相棒ですからね」
 ハウンドは穏やかに笑っている。見ていて安心するいつもの笑顔。
 それならあれは夢だった? それともこれが夢? 私はまた夢蝕みに囚われてしまったというの?
 夢……。
 はっとして自分の胸元に触れる。いつも首から提げていたはずの白い鍵がない。彼の思いが詰まったあの鍵が、紐ごとなくなっている。
 肌身離さず持っていた代物だ。そう簡単に無くすはずがない。
 それとも、本当にあれこそが夢だったの?
 ……もしも。
 もしもあれが、夢であったなら。認めたくない現実が全て夢だったとしたら。
 それはあまりにも甘美な誘惑だった。
「ハウンド……貴方は本当に、ハウンドなの……?」
 思わず漏れた問いかけに、彼は不思議そうな顔をしつつも頷いた。
「ですから私ですと、さっきも言ったと思うのですが。私が貴女に嘘をついたことがありましたか?」
「……ううん、ない。でも、そっか、それなら良かった」
 彼の回答を噛みしめるように何度も頷いた。
 このハウンドが本物ならやっぱり彼は生きているということだ。ハウンドが死んでしまったというのは、きっと何か悪い夢と混同していただけ。
 ほっとして俯いた私はその時ハウンドが神妙な顔をしていたことに気が付かなかった。
「……蛍さん」
「え?」
 不意に引き寄せられる感覚。前面に何かが当たって、息苦しくてなんだかあったかい。って、いや、これって!?
「ハウンド!? 貴方、一体なにを……っ」
「どうかもう少しだけこのままでいさせてください。蛍さんがどうしても嫌なのでしたら、止めますが」
 耳元でハウンドが囁く。そうは言っても変に頑固な彼が言ったところで本当に止めるかどうかはわからない。何よりも。
「……嫌では、ない……かな」
「そうですか。それは良かった」
 安堵の呟きと共に手に力がこもる。そんなに抱きしめないで欲しいような、もっと抱きしめて欲しいような。頭の中がまとまらない。
 ただ、痛いくらいの感触が確かに今ここに彼がいることを感じさせてくれる。
「蛍さん」
 間近で名前を呼ばれるのが妙に気恥ずかしい。彼の体温を感じる以上に自分の身体が熱い。胸の奥がきゅうっとなる。あぁ私、今汗のにおいとかしてないかしら。
「ずっと貴女と一緒にいさせてください、蛍さん。私が愛するべき隣人は貴女に他ならないのですから」
 どこか聞き覚えのあるフレーズ。あれは夢の中で聞いたのだったか。
「……私だって」
 貴方のことが。
 あの時言えなかった言葉は、やっぱり今度も言えなかった。ただ胸の高鳴りがかわりにそれを物語っている。
 ハウンドはずるい。宗教的な愛とごっちゃになっているのか外国人の性質なのか、愛という言葉を平然と使ってくる。だからその愛が私の思うそれと同じものだかよくわからない。
 ふと、触れていた体温がなくなった。あぁ、と呟く声がそれに続く。
「すみません、今日はもう休むんでしたね。宿の手配をしてきますから、蛍さんはゆっくりしていてください」
 抱きしめた時と同じように、唐突に解放される。そうしてぽかんとしている間にハウンドは姿を消してしまった。
「本当に……なんなのよ、もう」
 一人ぽつんと佇みながら、呟いた。
「一緒にいたいって言うくらいならあっさり置いていかないでよ……馬鹿」
 上気した頬を撫でる5月の風は、熱を冷ますには少し温すぎた。


 お山の異常というのも蓋を開けてみれば何のことはない、妖魔が悪さをしているという類のものだった。エニグマまで仕込んで痕跡を隠すのは周到な妖魔だったが、暴いてしまえば後は退治するだけだ。そして戦闘は鞍馬神流である私にとって得意中の得意分野。
 逃げる妖魔を分身と共に追い立てながらハウンドが口を開いた。
「毎回言っている気がしますけど、あまり突出しすぎないように気をつけてくださいね蛍さん」
「わかってるわよ。でも先陣は私でハウンドは後始末でしょう?」
 言い返すと「まぁそうなんですが……」とまだ何か言いたそうに口を噤んだ。こんないつものやりとりもなんだか不思議と懐かしい。
 お山の勝手は知ったものだ。林を抜ければ切り立った崖の麓、もう逃げも隠れもできない。追い詰められたことを悟った妖魔はそれでも抜け道がないか辺りを伺っていた。
 相手はまだ動きを決めかねている。この機を逃す手はない。
「そこ!」
 惑う妖魔にクナイをまとめて放つ。何本かは足に当たり、妖魔が悲鳴をあげた。これで機動力を削げたはずだ。
「ハウンド!」
『ええ、わかっています』
 応えるハウンドの声が二重に響く。ハウンドは分身と同時に距離を詰め、妖魔の身にその爪を突き立てた。仕込まれた毒は確実に妖魔を中から蝕んでいることだろう。
 濁った色の瞳に明確な殺意を灯し、妖魔の胸が大きく裂けた。間髪入れずに飛び出した肋骨が私達を襲う。それを避けきれないと判断してからは頭を庇いながらあえて前に踏み込んだ。腕、脇腹、足……どこの怪我も動きには支障が出ない。大丈夫、いける。
「これで……とどめっ!」
 自ら曝け出した弱点は利用するに限る。懐に潜り込みながら裂けた胸部をクナイで斬りつけると、肉を抉る生々しい感触が手に伝わってきた。
 妖魔はけたたましい悲鳴をあげながらのたうち回り、やがてその姿を塵へと変えた。
 これで妖魔退治は完了だ。終わってみれば呆気ない。
 息を吐いて緊張を解く。そんな私にハウンドが歩み寄ってきた。
「お見事でした蛍さん。もう完全に調子が戻ったようですね」
「まぁね」
 にこにこと安心したように笑うハウンドには短く返した。
 別に昨日だって体調が悪かったわけじゃないし。どうしてぼんやりしてたのかはよくわからないけど。
「とはいえ先程の動きは心配しましたよ。怪我は大丈夫ですか?」
 ハウンドは心配そうに私の手を取るともう片方の手をさらに重ねた。
「え?」
「蛍さん、あまり無理はしないでくださいね。私には貴女が必要なのです。貴女のことは私が守りますから、どうかずっと私のそばにいてください」
 手を握ったまま、懇願するようにハウンドは言う。
 私はといえば、何ともいえない違和感のようなものを感じていた。
 ハウンドは確かに過保護な部分はあったけど、ここまで依存的だったろうか?
 彼はどちらかというと一方的に愛を与えようとしてくるタイプだ。自分の行動が人のためになればと突き進んでいく。一方で、それに対する見返りや彼に関する私の行動について何か要求されたことはあまりなかったように思う。
 何かが違う。彼は私の記憶の中にいるハウンドとどこかがおかしい。
 私はこくりと唾を飲み込んで、伏し目がちに名前を呼んだ。
「……ねえ、ハウンド」
「なんでしょう」
 彼は笑う。いつものように。あったかくなる笑顔のはずなのに、どこかこわいと感じるのは戦闘の後で気が昂ぶっているからなのか。
「もし……もしも私を助けるために貴方が死なないといけなくなったら……貴方はどうするの?」
 突然の物騒な問いかけにハウンドは少し戸惑った様子を見せた。試すにしてもあまりに極端な例えだ。無理はない。
「急にどうしたんですか?」
「いいから答えて」
 語調を少し強くする。冗談の類ではないことは伝わったようで、ハウンドは少し考える素振りを見せた。
「……そうですね。それで貴女が助かるのでしたら、私は喜んでこの身を犠牲にしますよ。私が愛すべき隣人は貴女に他なりませんから」
 穏やかに微笑みながらハウンドは答える。私はさらに質問を畳み掛けた。
「でも私は貴方に死んで欲しくなんかないのよ。それでも犠牲になるっていうの?」
「ええ、それが貴女のためになるのでしたら」
 笑みを崩さないままハウンドは言い切った。
 なんという他者愛。なんという自己犠牲の精神。彼が信仰する神様とやらはその行為を讃えるのだろうか。
 確かにあの時のハウンドも命を投げ出す覚悟を決めて微笑んでいた。
 だけど。

「貴方、やっぱり偽物なのね」

 虫の声が。鳥の囀りが。草木の騒めきが。
 音という音が、一斉に止んだ。
 生まれた静寂を破ったのはハウンドの硬い声。重ねた手にこめられた力がわずかに強まった気がした。
「……どうしてそう思うのです?」
「ハウンドは確かに私のためならって死ぬ覚悟までしていたわ。でもそれ以上に、私が悲しまないようにより良い道を探していたじゃない。そんな簡単に命を投げ捨てて喜んでなんかいなかった」
「それは……先ほど提示された条件だけ見れば仕方のないことで」
「それにハウンドは何かと口うるさいし愛すべき隣人とか言ってくるけど滅多なことじゃ触って来なかったのよ。あの保護者が急に、その」
 改めて言うのは恥ずかしくて口が回らなくなる。でも言わなければきっとはぐらかされる。
「は……ハグとか、するわけないじゃないの」
「…………」
 ハウンドはもはや笑っていなかった。その代わりに困ったような、悲しげな表情を浮かべていた。黄金色の髪が風に靡く。
 長い長い沈黙の後に、彼が息を吐いた。
「……参りました。なりきれていると思っていたのですが、少しやり過ぎてしまったようですね」
 観念したように偽物だと認めた。ならばもはや生かしておけぬと襲ってくるだろうか?
 身構えたものの、眼前に立つ男はやはり困ったような顔をするばかりで一向に敵意を向けて来ない。
「確かに私は妖魔『想蝕み』が生み出した作り物です。ですが、ハウンドという男の記憶も想いも確かに受け継いでいます。私はハウンドとして貴女を愛している。この想いに偽りはありません。私は貴女の相棒でありたいのです」
「でも貴方は妖魔じゃない。いったい何が目的なの」
 警戒を怠らないまま問いかける。しかし男は首を横に振った。
「何も。強いて言うならここで貴女と共に生き続けたいというところでしょうか。貴女にも悪い話ではないはずです。考えてはいただけませんか?」
「……え?」
 逆に質問を返された。それも予想外の形で。
 ハウンドの姿をした男は言葉を続けた。
「先ほども言った通り、私はハウンドの記憶も想いも引き継いでいます。
 そしてお察しのことと思いますが、ここは妖魔である想蝕みが作り出した結界の中。ここにいれば私がいます。もう失うこともなくずっと一緒にいられるんです。貴女が私の足跡を辿る旅をする必要もないのですよ。
 それに……ハウンドという男の過去を詮索しても貴女にとって良いことはありません」
「どういうこと?」
「……いえ、今のは気にしないでください。それよりもいかがでしょうか。ここで私と共に暮らすというのは」
 真剣な表情でまっすぐに私を見ている。直感でしかないけど、嘘はないように思えた。
 でも……。
「ごめんなさい。やっぱり、貴方のことは信じられないわ」
 握られていた手を振りほどく。偽ハウンドは悲しげにそれを見るばかりで追い縋りはしなかった。
 根拠を問われてもわからない。ただ目の前の男を信じてはいけない気がした。
 これからどうするか、まだ考えはない。とにかく圧倒的に情報が足りない。どうすれば……。
 考え始めた次の瞬間、胸のあたりが眩ゆい光とともに熱を帯びた。
「熱っ」
 思わず目を瞑る。やがて光が収まると、そこにはなくしたはずの白い鍵が揺れていた。ハウンドの想いが詰まった白い鍵。最期に託された大切な鍵。
 これがあるということは、やっぱり夢蝕みの時の出来事は夢なんかじゃなかったということだ。
 手元に戻ってきた鍵をそっと抱きしめる。白い鍵が淡く光ったような気がした。
「あの……蛍さん?」
「やめてよ、貴方にもう名前を呼ばれたくなんか」
 水を差してくる偽ハウンドを一喝しようとして、固まった。
 ハウンドが二人いる。いや、元々分身の術を使える人だ、増えていてもおかしくはない。でも今のタイミングでそうする必要は何もないはずだ。
 一方はうろたえた顔で私を見ている。もう一方は苦々しい顔でそっぽを向いている。さっき声をかけてきたのは前者の方だろう。
「すみません、私としてもこんな形の再会になるとは思わずなんと声をかけたらいいか悩ましいところではあるのですが。もう名前を呼べないというのはちょっと……」
 困り顔の方のハウンドがしどもろどもに言葉を紡ぐ。ここまで余裕をなくした姿はちょっと珍しい。
 何が起きているのだろう。状況を飲み込めないながらもおずおずと彼の名前を口にした。
「えっと……ハウンド?」
「はい。お久しぶり……になるんでしょうか。ご機嫌はいかがですか蛍さ……あ、いえその」
 場違いなほど和やかに挨拶を返してから、つい名前を口にしかけたことに気付いてもごもごする。
 このままでは話が進みそうにない。ため息混じりに撤回した。
「さっきのは無しでいいから。それより貴方は、妖魔想蝕みとかいうやつではないの?」
「いえ、私は……何と言えばいいのでしょうね。私はハウンドであって、少なくとも妖魔の類ではありません。それより蛍さんがお元気そうで安心しました」
 心から安堵したように笑うハウンド。その顔を見ると不思議と胸の奥があたたかくなった。
「……騙されてはいけませんよ蛍さん。それも偽物に過ぎません」
 それまで苦い顔では無言を貫いていたもう一方のハウンドが口を開いた。
「貴女は理解しているはずです。本物は既にこの世にいないことを。つまり、その男も偽物に過ぎないのです。何を企んでいるかわかったものではありませんよ。
 そんな男の言うことは聞かずに蛍さん、こちらへ来てください。この世界でずっと一緒に暮らしましょう」
 偽ハウンドが手を差し伸べる。もう一人のハウンドは止めようとはせず、ただ言った。
「蛍さん。私は貴女に幸せになって欲しいです。その手を取ってそれが叶うというのであれば、できる限りその意志は尊重したい。
 ただ……出来れば、元の世界に戻っていただけませんか。この場所の本質は夢蝕みの結界のそれと何ら変わりません」
「……それは」
 言葉に詰まる。
 かつてのハウンドは私を助けるために自ら妖魔の結界に飛び込み、文字通り命を懸けた。それを逆戻りするというのは、ハウンドの行為全てをないがしろにするようなものだ。
「蛍さん!」
 偽ハウンドの声が大きくなった。彼は彼で、真剣に私を案じているのだろう。
 どうするべきか。どうしたいのか。私は感情的なところが長所であり短所だとよく言われていたっけ。ハウンドはそこが良いとも言っていたけど。
 胸元の白い鍵を握る。確かな感触が返ってきた。
 私は……。
 無意識に息遣いが乱れていたらしい。気持ちを落ち着けるならまずは呼吸からだ。肺の中の空気を吐き出し、また大きく吸い込む。
 何が正解なんてわからない。なら、私は私の気持ちに従う。
「私は……ここを出るわ」
「……っ」
 偽ハウンドが息を飲む。反論しようとするのを遮って続けた。
「私はここにいちゃいけない。そう思うから」
 まっすぐに偽ハウンドを見る。
 なおも何かを言おうとした偽ハウンドは、結局それ以上縋ることなくうなだれた。
「……残念です。ですが私は諦めませんよ。ここにいれば貴女はもう失わなくて済むのですから。それは貴女にとっての幸福でもあるはずです」
 そう言い残して偽ハウンドは姿を消した。
 彼自身は本気で私の為を思っている。それ自体は揺るぎない本心なのだろう。だからこそ揺さぶりとして効いてくる。ここに留まりたいと思わせて獲物を取り込む仕組み。想蝕みの罠は狡猾で厄介だ。
 事の成り行きを静観していたハウンドが息を漏らした。いつも通りに見えて、彼は彼なりに気を張っていたらしい。
「脱出する決心をしていただけたようで安心しました。その鍵は決して手放さないようにしてくださいね、蛍さん」
 白い鍵を指しながらハウンドが言う。言われるまでもなくそのつもりだ。私は一つ頷きを返した。
「彼はまだ諦めていないようでしたから、邪魔をしてくるでしょうけど。私も手伝いますから一緒に頑張りましょう」
 いつものように。穏やかに笑いながらハウンドが言う。
 その顔を見ながら、ふと気になったことを聞いてみることにした。
「……ねえ、ハウンド」
「なんでしょう、蛍さん」
 愛する教え子に相対する教師のように。ハウンドは全身で話を聴く体勢を取っている。そこまで意識を向けられると少し居心地が悪いんだけど。
「その、再会を喜んで何かしたくなったりとかしないの」
「何か……ですか?」
 少し考えた後、得心したようにあぁと手を叩いた。
「この奇跡的な再会を主に感謝しないといけませんね」
「もういいわよ……馬鹿」
 がっかりしたような案の定で安心したような。
 やっぱりあのハウンドは偽物だったらしい。


 首から提げられたそれを日にかざす。白い鍵は陽光を浴びてきらきらと光った。いつも通りに綺麗な鍵だ。
「この鍵があればここから出られるのね?」
「ええ、時が来れば。その辺りは夢蝕みの結界と同じようです」
 確認に対してハウンドは頷いた。
 偽物とはいずれ決着をつけることになるだろう。その時に備えて戦いやすい場所……開けた平地に場所をうつし、私たちは情報の整理を行っていた。
「ハウンドは持ってないの?」
 鍵があれば一緒に抜け出すことができる。淡い期待を込めたが、ハウンドが首を振った方向は横だ。
「私の鍵は既に蛍さんに託したようなものですからね。残念ですが、一緒に行くことはできません」
「でも諦めるのはまだ早いわ。あの偽物も鍵を持っているみたいだったの」
 一瞬ではあったが偽物の懐に青色の鍵が見えた。ハウンドがあの鍵を奪えれば、まだ希望はある。
 しかし鍵の話を聞いてもなおハウンドの表情は明るくない。
「そうかもしれませんが……この身は結界の中で再現されたものに過ぎません。仮に出られたとしたも、そのまま保てるかどうかは私にもわかりませんよ?」
 そこはハウンドの言う通りだ。白い鍵に残った想いから再現されたらしいこのハウンドが、元の世界に戻っても維持されるかどうかなんて誰にもわからない。
 なにぶん情報が少ない。不確定要素が多いほど可能性の振れ幅は大きくなる。思いもよらない落とし穴が待っている可能性だってある。
 とはいえ、たった一人の相棒がそんな調子じゃこっちが困る。
「でも、この前の時だって言ったじゃない。二人で帰る道を諦めたわけじゃないって」
「あぁ……そうでしたね。他ならぬ私が口にした言葉でした。すみません、体につられて心まで弱くなっていたようです」
 苦笑気味にハウンドが謝罪する。
 白い鍵から生まれたハウンドの力は元通りとはいかなかったようで、下忍頭レベルにまで落ちていた。当然、扱える技も減っている。これまで培ってきたものを突然失ったのだから気落ちするのも無理はない。
「大丈夫。戦闘なら私に任せて」
「ははは……情けない話ですが期待させてもらいます」
 元より戦闘は私の方が得意だ。大船に乗ったつもりになってもらいたかったんだけど、いまいちうまくいかなかった気がする。何かおかしかったかな。
「蛍さん」
 呼ばれてハウンドを見ると、彼はいつになく真剣な表情で私を見ていた。まっすぐな視線に心の中まで見透かされそうだ。
 なんとなく偽物のことが想起されて、返事が裏返らないように気をつけた。
「な、何?」
 ……気をつけても駄目な時は駄目なものだ。
 しかしハウンドにとってそこは大した問題ではないらしく、変わらず真剣な面持ちだ。
「一つ聞きたいのですが……私のことを疑ってはいないのですか? 先程の彼が言う通り、私も得体が知れない存在のはずです。私は自分の身を証明する術を持っていません」
「それは……」
 改めて問われると理由に困る。思わず視線が泳いだ。
「なんとなく、かな」
「なんとなく……ですか」
 繰り返す彼の口調からは感情を読み取れない。
「うん。それじゃだめかしら」
 再び視線を向ける。少し虚をつかれたような顔をする相棒に。
「いえ……それで信じていただけるならうれしい限りです。
 貴女がパートナーで良かった。私はこれからも己を愛するように隣人である貴女を愛しましょう」
 言いながらハウンドは微笑んだ。そのパートナーを自分の手にかけた身としては複雑な気分だ。あとそのフレーズはいい加減恥ずかしいから止めて欲しい。
 ふと、得も言われぬ違和感から視線を遠くに向けた。
「……ハウンド」
「えぇ、わかっています。来たようですね」
 ハウンドもまた同じ方向を見ていた。十分に視界が開けた静かな場所を選んだ。何か近づいてくればすぐにわかる。
 ずるりずるりと断続的に何かを引き摺るような音がする。警戒したまま注視していると、やがてそれは姿を現した。
 偽ハウンドと思しき『何か』。
 おおよそは人の形をしているが、青白く変色した肌は所々が大きく膨れ上がり、見開かれた目は白く虚ろに濁っている。水浸しになっていれば引き揚げたばかりの水死体と言われても信じたかもしれない。
 それは長く垂れ下がった尾を引き摺りながらゆっくりと歩みを進めていた。
 やがて私を認めると、体同様に膨らんだ顔を笑みの形に歪めた。
「迎えに来ましたよ蛍さん。さぁ、私と一緒に生きましょう」
 憎らしいことに声だけはハウンドのままだ。とはいえその主張には到底付き合えない。
「そんな姿でまだハウンドの振りをするの? さすがに無理があると思うんだけど」
「今は致し方ないのです。貴女がここに留まって下さるなら元の姿をした相棒をまた作り出してあげますよ。ここは私の世界ですからね」
 私の世界。
 ここは想蝕みが支配している世界。以前の偽物は自分と妖魔を区別するような発言をしていたはずだ。それが、ここにきて私の世界だと言い放っている。
「どうやら彼は想蝕みの意識に取り込まれているようですね。まぁ、我々のやることは変わらないのですが」
 言いながらハウンドは分身共々身構えた。私もクナイを構えて妖魔を見据える。
 そんな私達の動きを見た妖魔が目を細めた。
「どうやら大人しく留まってはもらえないようですね。であれば仕方がありません。多少力付くになっても、貴女からの愛を取り戻すことにしましょう」
 妖魔からの殺気で空気が張り詰める。
 戦いは先手必勝。懐から追加のクナイを取り出し、一斉に投げつけた。
 彼我の距離はこのくらいが丁度いい。ハウンド相手だと間合いを詰められて失敗することが多いけど、こいつは動きまで同じわけではないらしい。クナイが最大限の威力を発揮できる間合いに持ち込めた。
 妖魔は口から水を噴き出して飛来するクナイを撃ち落そうとしたが、不規則な軌道を描くそれら全てを迎撃することはできなかった。すり抜けたクナイがその体に深く突き刺さったことを確認する。
 妖魔の虚ろな目が私を見た。あぁ、この濁った目。どこかで見たと思ったらスーパーの魚売り場に並んだ魚がこんな感じだったかな。
 しかし、目が合ったのは一瞬のことで、妖魔の視線はそのまま目前で構えるハウンドの方へと流れた。
「貴方の存在が全ての誤りだったのです。まずは貴方を抹消しなくては」
 うわ言のように呟きながら妖魔の尻尾が大きくしなる。次の瞬間、その尻尾が消えた。
「……え?」
 口からつぶやきが漏れていた。
 警戒して見ていたはずなのにその動きを捉えることが出来なかった。ただ、大きく吹き飛ぶハウンドと飛び散る血痕が既に攻撃は終わっていることを示していた。
「ハウンド!」
 思わず叫ぶ。即死まではいかないはずだが、あの血の量はただならない。
 駆け寄りそうになる私をハウンドは手で制した。口元の血を拭いながらゆっくりと立ち上がる。
「私なら大丈夫ですよ。それより今は目の前の相手に集中しましょう。……私もただでやられたわけではありませんしね」
 そう言うハウンドの腕には自身から出た血の他に、返り血と思しき青い液体がべったりとついていた。尻尾の攻撃をくらいながらも爪先に仕込んだ毒はお見舞いしていたらしい。ちゃっかりしている。
「それなりに手傷は負わせたはずだけど……」
 言いながら妖魔に視線を戻して、ぎょっとした。先ほどまで無かったはずのどろりとした緑色の液が妖魔の青い皮膚を覆っていた。
 見る間に傷が塞がっていく。常軌を逸した回復速度。これがあの粘液の効果か。液が重力に従って流れ落ちる頃にはクナイの傷痕も爪の跡もすっかり消え失せていた。
「あの粘液は皮膚から分泌してるのかしら。なんだか気持ち悪いわね……」
 妖魔はどんどんクリーチャーのような存在になっていく。ハウンドの姿を維持されるよりマシなのか、なまじ面影が残っているだけに余計たちが悪いのかは判断に悩むところだ。
 回復されたのは厄介だがそう何度も使えるわけではないだろう。とにかく攻撃を仕掛け続けるしかない。
 とはいえ、クナイを投げるには近すぎる。インパクトに合わせて力を込められるよう、手早く持ち替えると得物を握り直した。
 短く息を吐き、一気に距離を詰める。妖魔の白濁した目は今度こそ私を捉えていた。
 まずは軽い牽制。掠めた金色の髪数本が宙に舞う。見かけによらず俊敏な動作で後ろに逸れた妖魔を追撃する。
 右、左、右と見せてもう一度左。間断なくクナイが軌道を描く。意外と目がいいのか、妖魔はそれでも紙一重でかわし続けていた。
「こっの……!」
 叫びと同時に踏み込み、体重を込めて突きを入れる。狙いは全ての生き物共通の急所、頭部。
 しかし妖魔はそれすらも読んでいたと言わんばかりに口を広げ、迫り来るクナイを噛み砕いた。膨らんだ顔がしてやったりという表情を浮かべる。
 ――かかった。
 既に予備のクナイに持ち替えている。苛立ちに駆られて飛び込んだように見せたのも、わざわざ正面から突っ込んで見せたのも全部防いだと思わせて隙を作らせるためだ。狙っていた隙が出来たのだから逃すはずがない。
 急所は体の中心線に沿って存在している。小さい頭よりも面積の広い胴体を狙う方がよほど簡単だ。それも油断した相手の腹を刺すのではあれば造作もない。
 クナイ越しに伝わる感触は人のそれと大して変わらないように思えた。
 ここまで踏み込んだ以上、少しでも深手でも負わせておきたい。クナイをさらにねじ込もうと力を込めた。
 しかし妖魔は青い体液を周囲にばらまきながらもにたりと笑っていた。痛みを解さないとでも言うのだろうか。
「貴女の方から来ていただけるとはうれしいですよ、蛍さん。歓迎します」
 妖魔は腕を広げ、そのまま抱擁するように私を抱き寄せた。
「何、を……ぅあっ!?」
 突き飛ばそうとしたが、突如全身を駆け抜けた激痛に顔が歪む。
 熱い。
 触れられた箇所を中心に血が沸いていく感覚。熱は血管を通して全身へと広がっていく。
「あ、あああぁ、あぁぁぁぁあ……っ!」
 熱い、熱い熱い熱い熱い。
 体内から炙られているかのようだ。動く度に灼熱感が全身を蝕む。早くここから抜け出さないといけないのに激痛で体が思うように動かない。
 ふと視界の端で何かが動いた気がした。見れば、ハウンドが側面から強襲を仕掛けようとしていた。
 しかし妖魔の尻尾がゆらりと動くと、飛びかかるハウンドに迫った。だめだ、あの間合いではおそらく避けきれない。
 推測通りに妖魔の尾がハウンドの腹を刺し貫いた。そう思った瞬間、ハウンドの姿がかき消えた。
 分身が陽動を仕掛けている間に本体は完全に背面を取っている。手は塞がっているし厄介な尻尾も動かしたばかりだ。絶好の好機と言える。
 鋭い呼気と共に、ハウンドの回し蹴りが妖魔の後頭部に突き刺さった。衝撃で腕の力が緩んだ隙に私も脱出を図り、そのまま大きく距離を取った。
 近くまで退いてきたハウンドが気遣うように私を見てくる。
「大丈夫ですか、蛍さん」
「平気、まだ動けるわ」
 半分強がりだ。まだ中から焼かれる感覚は残っているし血管はズタズタだ。激しい動きをすれば傷は広がる一方だろう。それでも今は強がる他にない。
 ハウンドはなおも心配そうな顔をしていたものの、それ以上追求することなく妖魔に意識を移した。
 態勢を立て直した妖魔がまとう空気は、その目と同じように澱んでいた。
「ああ……忌々しい腹立たしい疎ましい憎たらしい妬ましい度し難い。どうしてそこまで抗うのですか。私はただ共にありたいと願っているだけだというのに」
 妖魔はぶつぶつと呪詛の言葉を並べ立てている。あわせて周囲の空気がべったりと纏わりついてくるような、嫌な感覚が増してくる。心なしか足にも何かが付きまとっているような……。
 いや、これは気のせいじゃない。地面から生えた無数の手が獲物を求めて蠢いており、その中の数本が既に私の足を掴んでいた。生気を吸い取られているらしく、掴まれていると力が抜けていく感覚があった。
「この……っ」
 腕にクナイを突き立てるが、効いている気配はない。実体はあってないようなものなのだろう。物理で押し切れない相手は苦手だ。ハウンドも対処に手間取っているようだった。
 一通り吸い取って満足したのか、やがて無数の腕は波が引くように消えていった。後には私と妖魔、そして片膝をつくハウンドだけが残っている。
 いくらか呼吸を乱しながら、ハウンドはまた私を気遣うように見ていた。
「蛍さん」
「私は大丈夫だから、ハウンドは自分の立て直しに専念して!」
 自分の方こそ人の心配をしている状態じゃないくせに。先手を打って言い放つと、ハウンドは苦笑のような表情を見せた。
「……そうですね、すみません」
 言いながらハウンドは懐から小瓶を取り出した。中身は赤ワインだろう。ハウンドが祈りを捧げながらワインを口に含むと、曰く『奇跡の片鱗』は見る間に彼の傷を癒していった。
 あれ自体に回復効果があるかただの思い込みではないかと思っているのだが、この疑問はもう本人には二度とぶつけまいとあの時から決めていた。変なスイッチが入る話題は人それぞれだ。
 ともあれこれでハウンドはいくらか立て直せたはずだ。私だって負けられない。
 もっと早く。もっと強く。限界なんて決めつけるのはまだ早い。
 絶対に妖魔を倒してここを出るんだ。
 体内に抱え込んだ痛みすらも意識の外に追いやって、ただ思いに突き動かされるままに体を動かす。
 再度クナイを構えて時間差で投げつける。水鉄砲での迎撃が来るのは織り込み済み。その間隙を縫ったクナイが妖魔の肉体に突き刺さる。
 妖魔の方も満身創痍だ。あと少し。
 呻く妖魔の全身が再度緑色の粘液に覆われ始める。また回復するつもりのようだが、そう何度も思い通りにはさせない。水の操作は本分ではないものの、多少であれば心得がある。先ほどの水鉄砲で生まれた水を操作して妖魔にぶつけることで粘液を洗い流した。再び覗いた青白い皮膚は傷だらけのままだ。
「あぁ、あぁ……どうして邪魔ばかりするのです」
 ままならない苛立ちを隠そうともせずに妖魔が声を荒げる。怒りをぶつける相手を探すようにその首を振ると、目の前のハウンドに焦点を合わせた。
「貴方、貴方貴方貴方貴方だ。貴方さえいなければ!」
 怨嗟の叫びとともに尻尾がしなる。またあの不可視の攻撃をするつもりか。
 かたやハウンドは分身を増やしていた。分身を盾にするつもりなのだろうか。
「そんな分身、いくら並べたところでまとめて突き刺すだけですよ!」
 妖魔が吼える。やはりいくら注視してもその尾の動きが追えない。見る間に分身は数を減らしている。このままではさっきと同じようにハウンドが重傷を……。
「あぁ、誤解を与えてしまったようですね。いえ、身代わりには違いがないのですが」
 ハウンド達が静かに呟くと、その中の一体が妖魔目掛けて飛び出した。尻尾の追撃は……来ない。
「その動きを追うことはできなくても、来る方向を自分から教えてくれる攻撃であれば避けることは可能でしょう」
 なんてことだ。分身の自分を攻撃させることでマーカー代わりにしたらしい。
 妖魔の懐に潜り込んだハウンドは、そのまま爪を深く突き立てた。耳を覆いたくなるほどの絶叫が響き渡る。
 足元には青色の水溜りが出来ていた。見ればわかる。いかに妖魔といえどももはや致命傷だ。
 最期の抵抗を警戒したのか、ハウンドは一旦距離を取っていた。私も私で油断を緩めずに妖魔の動向に注視している。
 妖魔の体は既に端の方から崩壊を始めていた。直にこの妖魔は消滅するだろう。ふと、妖魔が私を見た。
「あぁ、何故……どうしてですか蛍さん。私は貴女を愛しているのに」
 思わずぎょっとした。妖魔の虚ろな瞳には涙が溜まっていた。妖魔も泣くのだろうか。それともこれは油断させるための演技なのだろうか。
 しかし妖魔は力なく立ち尽くすばかりでもはや何の力も残っていないように見えた。目の前の妖魔が哀れにさえ思える。
「……たぶん、その愛は違うのよ」
「違う?」
 妖魔が繰り返す。その妖魔へとゆっくりと歩みを進める。背後でハウンドが警戒を強めた気配はしたものの、止めてくることはなかった。
 私の思う愛も、ハウンドが思う愛も……そして、この偽物が信じている愛も。同じ単語を使っていてもきっと中身は違う。表現方法も。
「ごめんなさい。その答えはうまく言えないんだけど、とにかく私は行かないといけないから」
 手をのばし、膨らんだ頬を撫でる。生命を感じさせない青く冷たい肌。
「お休み……ハウンド」
 あぁ、と。妖魔が呟きを零したような気がした。それを皮切りに崩壊が加速して全身が崩れ落ち。
 後には青く光る鍵だけが取り残されていた。
「……終わりましたね。念のため聞きますが、続けますか?」
 戦利品を得るのは勝者の特権だ。彼に鍵を渡すつもりがないなら、あるいはその他の私情でまだ戦いを続けることも可能だが。もちろん私にそんなつもりはない。
 黙って首を振ってみせると、ハウンドは頷いて青い鍵を拾い上げた。
 これで鍵が揃った。この妖魔が作った世界から抜け出すことができるんだ。今度は、二人で。
 声を掛けようと振り向いて、そこで私は初めて気が付いた。鍵を握りしめたハウンドが珍しく汗を浮かべて何かに堪えるような顔をしていたことに。
「ハウンド、どうしたの? まさか毒でも……」
「来ないでください」
 様子を見に行こうとした矢先に強い口調で制された。思わず足が止まる。
「え……?」
「蛍さん、申し訳ありません。やはり私は貴女と一緒には行けません」
「そんな、どうし……て」
 言いかけた言葉が止まる。
 ……あぁ、気付きたくなかった。
 鍵を握る彼の腕が、先ほどまで見ていた青色に変わってきていることになんて。
「ハウンド、貴方……」
「えぇ……この鍵の持ち主は想蝕みに侵食されてしまうようです。今ならまだ私の意識もありますが、じきに飲まれてしまうでしょう。そうなったら私はこの衝動に従って貴女を閉じ込めてしまいます」
 つとめて冷静に、ハウンドはそう言った。
 何、それ。今度こそ一緒に脱出できると思ったのに。
 そんなの。そんなことって。
「……嘘つき。これで二度目じゃない。助けてくれるって、一緒に出るって、言ったのに!」
 どうして。
 違うのに。
 そんなこと言って非難したいわけじゃないのに。
 先走った感情がまた彼を困ったような笑顔にさせる。そんな顔をしないで。
 また私は私のことをどうすることもできないのか。
「……返す言葉もありません。善処したつもりではあったのですが」
「違う、違うの、貴方が悪いわけじゃない。でも、だって」
 取り戻せると思った。口うるさいところもあるけどあったかくなる場所。一緒に過ごす日常を取り戻せると思ったのに。
 やはり困ったようにではあったが、ハウンドは変わらず笑っていた。
「私はうれしかったですよ。もう少しだけでも貴女と共にいたいという、最期の願いが確かに叶ったのですから。この巡り合わせに感謝しないと、バチが当たるというものです」
「それはそうかもしれないけどっ! でも、だからって!」
 八つ当たりのように叫ぶことしか出来なかった。
 堂々巡りだ。ここで駄々をこねたところで何かが変わるわけではないと頭ではわかっている。
 でも、わかっていることと納得がいくかどうかは全く別問題だ。
「ああ……行かないでください蛍さん、いえ、貴女だけでもどうか外へ」
 ハウンドが縋るように震える手を伸ばしてくる。矛盾した内容を口走りながら。
 意識の混濁が始まった。妖魔がハウンドの意識を蝕み始めている。完全に飲み込まれたら先の偽物のように襲ってくるだろう。その衝動に抗うことができないのは、他ならない私自身がよくわかっている。
 ……行かないと。
「ごめんなさい、ハウンド。ありがとう」
 別れ際まで精一杯の笑顔を浮かべる彼に、私はまたこんなことしか言えない。

「   」

 最後の言葉が伝わったのかどうか。白い光に包まれてハウンドの反応を見ることはできなかった。

 柔らかい感触に包まれて目を覚ます。
 奇しくもそこはお山の麓にある町の宿の一室だった。嫌でも見覚えがある。
「なんだっけ……連絡会に顔を出せ、だっけ……」
 微睡む意識の中で記憶を辿る。″今″は確かお山から招集をかけられていたところだったはずだ。別に妖魔の類が暗躍しているわけではない。
 時計を見る。朝の六時半。お山の会合にはまだ時間がある。
 そのまま視線を移せば、白い鍵はいつもの枕元に置かれていた。
 元通りといえば元通り。何も変わらない。
「って、そう簡単に割り切れるわけないじゃない……」
 布団の中で私は呻いた。カーテン越しに差し込む光が眩しくて顔を覆う。
 希望をちらつかせおいてもう一度奪っていくなんてあんまりだ。これだから彼が口にする神なんてものを信じられない。こんなものが神の思し召しだと言うなら悪趣味にも程がある。
 起き上がる気力もわかず、私はもう一度微睡みの世界に旅立つことにした。何か夢を見たような気もするが、よく覚えていない。


 * * * * *

あとがきのような何か。
ハッピーエンドが好きです。みんなが幸せになるお話が好きです。でもこんな後味が悪いお話も大好きです。
拗らせたほわきーネタがここまできてしまいました申し訳ない。
蛍さんかわいいよ蛍さん。
勢いで書き始めたものの途中から筆が進まなくなり、なかなか難産でしたがなんとかまとめました。ふう……。

メメント・モリは超ニッチな対象向けに シナリオ を組んでからSSに落とし込みました。
そもそも何人が対象になれるのかわからない仕様ですが傷に塩を塗りこむ可能性が高いので実際に遊ぶのはおすすめしません。



ラベル:ほわきー SS
posted by のみち at 20:16| Comment(0) | シノビガミ White_key | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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